栃木県鹿沼市の「鍼(はり)・整体」専門ますぶち治療院
ますぶちマッサージ・はり・きゅう治療院
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【しあわせって何だろう?】

" 考え事 "

2018年3月6日

鹿沼市の活法整体・鍼灸院、ますぶち治療院です。
『鍼灸師ってどんな人?』
そんなイメージしづらい生業をしているひとのブログです。

 

今回は「しあわせ」をテーマに語っていきます。

しあわせって何だっけ?

ポン○醤油のある家さ…という懐かしいフレーズがありましたね。
あのCMに出演していた御仁は果たしてしあわせなのでしょうか…?

 

それはさておき、今あなたはしあわせですか?
(「幸せ」より「しあわせ」と書いた方が、「しあわせ感」が醸しだされるので「しあわせ」と表記します)
あなたは今しあわせなの?と問われて、「はい、しあわせです!」と即答する人とはあまり仲良くなれない気がします。
「うーん、そうだねぇ。…まあ、しあわせだよ。たぶん。」くらいのトーンでいる人の方が詫び寂びがきいていてイイ感じです。

「しあわせ」って何だろう?

「しあわせ」って何だろう?

何をもって「しあわせ」とするかは人それぞれです。というか「しあわせ」は極めて個人的な感覚のみで構成されています。
他人から見てどうであれ、本人がしあわせなら「しあわせ」なのですから、「しあわせ」には主観しか存在しないことになります。
ですから「今あなたはしあわせですか?」と問われ、答えたその言葉こそ「あなたの現実」であるわけです。

 

ここでネガティブな言葉を使うと云々…、という言霊的な考え方があります。
人は認識によって世界観が変化するのだから認識自体を変えてしまおう、ということです。

 

「不しあわせ」だから苦しいのではなく、「しあわせでない」と認識するから苦しい。
ならば「しあわせ」と認識すれば世界はしあわせに満ちる、という考えです。
とんちかよ!おまえは一休さんか?とツッコミたくなるでしょう。しかし脳科学的には正しいのです。

 

例えば痛み。足の小指をタンスの角にぶつけて悶絶する、という悲劇的な場面で、痛みを感じているのは小指ではありません。
小指のダメージを感覚神経が脳に伝えると、脳が「痛み」として認識するから痛いのです。

「痛い」のはぶつけた小指ではなく「脳」

「痛い」のはぶつけた小指ではなく「脳」

生まれつき痛覚がない無痛症の人はケガをしても気づきません。出血しているのを見て、ケガをしたと視覚で認識するのです。
無痛症でなくとも、鎮痛剤で神経伝達物質を遮断し、脳まで情報を届きづらくすると痛みを感じなくなります。例えば頭痛薬がそうです。

 

このように自分が認識する世界はすべて脳が作りだしたものです。

世界は仮想現実

私たちが認識している世界は脳が作っている、いわば仮想現実です。
「本当の現実」がどのようなものなのか、私たちの五感では知ることができません。

世界は脳が作る「仮想現実」

世界は脳が作る「仮想現実」

人間の視覚は紫外線を見ることができません。しかしミツバチには見えます。人間とミツバチでは視覚で認識する「現実」が異なるのです。
人間には聞こえない音や感じない匂いをイヌは認識できます。イヌの「現実」も人間とは異なります。
「本当の現実」は種族によって異なるわけです。

 

人間同士でも怪しいものです。同じ赤色を見ていても、私の認識する赤色とあなたの認識する赤色が完全に一致するとは言えません。
これは「認識」が主観的なものなので、それをそのまま外部に取り出すことができず、言語や図に変換しなければならないからです。
言語や図に変換したものは、認識しているものと別物になってしまいます。

 

絵の具を使って赤色→赤色と表現するなら、まだ誤差は少ないでしょう。でも例えば色を言語化するとかなりの差ができます。
試しに通販サイトでターコイズと入力してみてください。明る過ぎたり青すぎたりと、てんでばらばらなターコイズ色の商品が出てくるでしょう。
商品として見栄え良い写真でもこのとおりです。
(売り手がいいかげんなのかも知れませんが…おまえはこれをターコイズと言い張るんだな!と呆れる商品もあり)

 

「本当の現実」は人間同士でも微妙に異なるものです。
ですから「現実の世界」は無数の「本当の現実=仮想現実」の平均値と言えるでしょう。

五感を拡張して世界を広げる

「現実の世界」の先には何があるのでしょうか。
今までの「現実」はすべて主観的なものでした。「私にはこう見える」の平均値ですから。
そうすると、この先にあるものは主観を超えた客観的なものになります。客観性のある現実なので「真実」と表記します。

 

客観的な「真実」を捉えるには誤差の大きな五感頼みでは不安があります。
そこで人間はまず基準を設けました。1センチはこの長さ、1グラムはこの重さ、というように。
この基準を守れば「真実」を共有できます。数学は真実を共有する手段なのです。

数学は「真実」を共有する手段

数学は「真実」を共有する手段

次に機械を用いて五感を拡張しました。紫外線や赤外線を見えるようにしたり、放射線を測定したり、聴力をグラフにしたり。
これらは生身では捉えられないものです。機械を用いて認識できる世界を広げただけでなく、これらは「真実」です。

 

面白いことに「真実」は私たちの「現実」の外側にあります。

 

真実=客観=外側から見える=共有できる
現実=主観=内側から見てる=誤差がある

 

「しあわせ」は主観ですから個人差があり、共有しづらい、ということになります。

 

長くなりますので次回に続きます。

この記事を書いた人

増渕 一成 (鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師)

栃木県鹿沼市出身

趣味は読書、熱帯魚、落語鑑賞。

活法研究会の提唱する碓井流活法(整体)と整動鍼法を施術の2柱としている。
活法研究会会員。

詳しいプロフィールはこちらから。

カテゴリー: 考え事.
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