ずっと悩んでいること
こんにちは、ますぶちです。
わたしがずっと悩んでいることがあります。
それは「どこまで口出しすべきか問題」です。
よくある、というか、ご来院されるほぼすべてのかたの症状―痛みとかコリとか痺れとか―は、ご自身の生活習慣の成果物です。
不慮の事故とかでなければ、癖とか不摂生とか、部活頑張らねばとか、仕事でやむなくといった理由から無理を重ねて生じたものです。
原因はご自身、またはご自身の置かれた環境にあるということです。
こうして生まれた症状を施術するわけですが、原因がそのままならば、また再発する可能性大です。
再発したらまた来院してくれるからいいじゃん、という考えかたもありますが、それは体調悪化を望む呪いがけと同じ。
治療行為と真逆の考えで両立しません。
かと言って、あなたの不調の原因である生活習慣を改めよ、と言われれば、いい気はしないでしょう。
そう言われても、わかっているけど、現実的じゃないね、と。
なのでお伝えするときは、できるだけ柔らかく「もう少し休憩とれるといいですね~」みたいなふんわりとした物言いになってしまいます。
もちろんビシッと指摘して欲しいというかたもおられるでしょう。
指摘するという行為には責任が伴います。
私は「その人の体はその人のもの」、基本的に「体の管理は自己責任」と考えます。
指摘をすることで、他人の私にその責任を預けられては本末転倒。自己管理ではなくなってしまいます。
大切な自分の体を他人に預けるなんて恐ろしいことです。
だからこそ、施術中の一刻だけでも、預かる間は真剣です。
生活習慣について指摘をするという行為には、そのひとの人生に責任をもって介入するという、重大な意味があります。
そして大多数のかたは介入を望んでいません。
いま、この不調を和らげることを望んでいます。
現実的に、経済的にも、明らかに仕事が原因だとしても、死に直結しなければ安易に休みなさいとは言えません。
そして再発を繰り返す、タイムループものの小説みたいなことになるわけです。
もし私が施術後になにか言いたげに見えたら、言うべきか悩んでいるときです。
そしてやんわりと伝えてきたら、先々のことを案じていると思ってください (^_^)
増渕 一成 (鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師)
栃木県鹿沼市出身
趣味は読書、熱帯魚、落語鑑賞。
活法研究会の提唱する碓井流活法(整体)と整動鍼法を施術の2柱としている。
活法研究会会員。










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